1983年「Clifford Brown」に影響を受けた中富マスターが彼の愛称を店名にした「Browny」がオープン。
(マスターが語る当時の心境)
当時の親不孝通りには、個性的な店が多く、どの店にも主張がありました。新参者の私はとても魅力的に映り、ジャズが似合うようにも感じていました。
特別ジャズに対して造詣が深いわけでもない、うんちくを語れるわけでもない、二十代の若造が、ジャズ喫茶のマスターということになるということは、何を血迷ったか、という感じでした。
もちろん、ジャズは大好きで、当時1500枚くらいのアルバムを持っていました。「開店の勢い」というやつで、以前から持っていたJBLのスピーカーに 合わせて,マッキントッシュのアンプなど「優れ物」のオーディオを揃え、来店されるお客様に軽くジャズを聴いてもらうつもりでした。